「君は指揮者か?」朽木先生と最初に出会った時の先生の一言。
その頃、僕は大学でフルートを専攻しており、その後指揮者を志すことになる。先生はおそらく僕が指揮者になることをご存知だったのだろう。何度思い出しても不思議な話。
僕が指揮者になれたのは、朽木先生に出会えたから―-。それは、先生との出会いによって自分の生き方を見つけ、この人生で何をしないといけないのかを考え、そして、先生との出会いから20年以上経った今も、まだまだ先を見つめないといけないと気づかされたからだと思う。確かに苦しい時もあった。だけどいつも先生が傍にいてくださるような気がする。実際、自分のやらなければいけないことに正面から向かっていくと、必ず不思議な言葉がどこからか届き、励まされ、何かしら答えが見つかる。
若い人はもちろんのこと、年齢に関係なく、人は迷い、道を失うことがある。しかし、真理は一つ。だからこそ、音楽は世界中で愛されるものだと思う。
ただただ、先生との出会いに感謝。
この『心の旅路』には先生の温かな言葉がいっぱい詰まっており、それはどこにいようと、自分自身に正面から向かった時、どこからともなく届き、読者に大きな勇気を与えてくれることだろう。
1961(昭和36)年生れ。京都市立芸術大学音楽学部卒業。1987年の『タングルウッド音楽祭』で優勝し、小澤征爾と故レナード・バーンスタインに才能を認められ師事。バーンスタインの最後の愛弟子となる。1989年『ブザンソン国際指揮者コンクール』翌年デビュー。1995年、第1回レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクールで優勝、「レナード・バーンスタイン桂冠指揮者」の称号を授与される。
現在ヨーロッパの拠点をベルリンに置き、パリ管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団、ケルン放送交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団などヨーロッパにて一流オーケストラへの客演を毎年多数重ねている。2012年11月にはトリノ王立歌劇場フィラルモニカ900管弦楽団首席客演指揮者に就任した。海外でのオペラ公演でも実績を重ねており、2007年「オランジュ音楽祭」でのプッチーニ作曲「蝶々夫人」公演(演奏:スイス・ロマンド管弦楽団)、2010年トリノ王立歌劇場でのブリテン作曲「ピーター・グライムス」、2012年同歌劇場でのビゼー作曲「カルメン」などがある。2011年5月にはバイエルン国立歌劇場管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会にデビューを果たし、ドイツを中心に今後の活躍が一層期待されている。
国内では兵庫県立芸術文化センター芸術監督、シエナ・ウインド・オーケストラの首席指揮者を務めるほか、「題名のない音楽会」(テレビ朝日系列)の司会者を務めている。CDリリースも多数あり「ドヴォルザーク交響曲第9番〈新世界より〉(ベルリン・ドイツ交響楽団)」「チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番(BBCフィルハーモニック/ピアノ辻井伸行)」「佐渡裕
ベルリン・フィル・デビューLIVE」などの海外オーケストラとの共演CD、シエナ・ウインド・オーケストラを指揮した「ブラスの祭典」シリーズなどが大ヒットセールスを記録している。著書に「僕はいかにして指揮者になったのか」(新潮文庫)、「僕が大人になったら」(PHP文庫)などがある。
オフィシャルサイト
http://yutaka-sado.meetsfan.jp
著書「僕はいかにして指揮者になったのか」(新潮文庫)
http://www.shinchosha.co.jp/book/133591/
(C)Jun Yoshimura |