心の旅路

第1話

  4.ある新興宗教での出来事

そうするうちに、ある新興宗教の信者の人が来て――これは家の女房の友達なんですけれども、
「お宅のご主人、何かちょっと話をしていらしたけれども、私の入ってる教団に来たら、そういう疑問はよく分かりますから、来ませんか」
と仰る。その人は、〇〇教団という処に入って、一所懸命やってる訳です。
しかし、私はそういう新興宗教というのは大嫌いだったんですよ。ですから誘いには乗らなかったんですけど、再三来て仰るもんですから、「それじゃあ、どんな処なのか、また新興宗教っていうのは、どういうものなのか見るのも良いし、行くだけ行って聴いてみよう」と、そういう事になった訳です。
行ってみたら、「信者になりなさい」と言うんですね。で、信者になった。
そうしたら、「三日間、研修があるから、それを受けてください」と言うから、受けた訳です。そして首から下げるペンダントを貰ったんです。ところが、
「この中には神様が入っているから、やたらな処に置いてはいけませんよ。もし畳の上にでも置いたら大変な事になりますよ」
と、そう言われた訳ですよ。ですから、言われた通り大事にしていた。
十一月の末に、そこの教団に入って、「とにかくやりなさい」と言われた事を一所懸命やっていったんですね。
二月ばかりした時、「これはいけない」と自分で思ったんですね。入って一月過ぎた時に私は、「何かおかしい」と、こう感じてきた訳です。
その辺から、「新興宗教というのは一体どういうものだろうか」と、物凄く突っ込んでいったんです。そして表も裏も横も、一所懸命に見始めた訳ですよ。(笑)
先ず、何がおかしいのか――教団には教祖がいるけれど、この教祖という人は、一体どんな人なのか――いろんな事を調べ始めたんですよ。
そして、この教団の中でやっている事が、本当にこれで人を救うのだろうか――。大体、宗教というのは、人間を救うと言いますよね。今、教団がやっている事で、本当に人間を救えるのか疑問になってきたんですね。
「教祖という人は、大きな力を持っているけれども、一体、自分の生活はどのようにしているのだろう」と、そうは意識していなくとも、何かそのように走っていったんですね。そして、「そういう中にいる信者の人達は、どういう気持ちになるのだろう」と、みていった。
教団では、浄霊とかいう名目で、必ずお礼をしなくてはいけない。お礼をする時は、長い机があって、そこで誰々は幾らお金を出したと書くようになっているんですね。私が行った時、横の人が千円と書いていたものですから、「それじゃ、私は千五百円……いや二千円にしよう」と、そういうものが出てくるんですね。
人間には、競争心というのが物凄くある訳ですね。そういうものを煽られている。
そうすると、「人より多く出すと、何か自分が余計に分かって、余計に救われるんじゃないかな」と、そう思ってしまうんですね。
その時に、「ちょっと待てよ、これはおかしいぞ」に、なってきた訳です。
その中で起きてくる霊的な現象も、これは正しいものではない。――そういう事も実は分かってきた訳です。分かってきたと言っても、自分の五官(眼・耳・鼻・舌・身)で感じる中ですね。
そして、何よりも疑問に思ったのは、そういう宗教団体の処には、身体の悪い人、貧しい人、心の迷っている人が沢山集まってくる訳ですよ。その中で、私の行った処の教祖という人は、物凄い立派な、もう金羽織のようなものを着て現れる訳です。
で、車はドイツ製のベンツの高級車に乗って来る訳ですよ。
私はそれを見て、先ず疑問に思った訳ですね。多くの人を救うという人が、何故このような派手で華美な生活をしなくてはいけないのか――。
或る日、そこの神様が降りて来たという場所で教団のお祭りがあったんです。
相当な人が集まるという話でしたが、信者は三十数万人の筈なのに、集まらない。まぁ、六千人位集まったでしょうか。



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