第一話 『人間とは何ぞや』関連の参考講話 短編集
2、想念帯を読む師
(23ページ『出会い』参照)
高橋先生という方は、心の中にある想念帯という処を観る訳です。
これは、この世的に言えば、自分がこの世で思った事・行った事、毎日の一秒一秒の事が、ここに全部記録されている。一つとして漏らしていない。ですから先生は、
「あ、あなたは、昭和〇年〇月〇日の〇時頃、こんな事をしましたね」
「えーっ!(笑)いやあ、そんな覚えはありませんが……」
「よーく思い出してご覧なさい」
――出て来るんですねぇ。「何で分かるんですか?」と聞く訳にもいかない。
高橋先生という方は、人の想念帯が全部読める方なんですよ。過去帳じゃないですけど、全部引っ繰り返して観たら、全部分かるんですね。今現在の事から、その人の過去転生の過程まで全部書いてある。先生は書いてあるのを、ただ読むだけ――。
ところが、読むだけではなくて、その人の一秒一秒の体の動きから行っている事まで、姿が全部観えるんですね。私なんかよく言われましたよ、
「あなた、この時、こんな格好をしてたじゃないの」
「えーっ!」(笑)
――こんな事が出来る人は何処にもいないんじゃないでしょうか。
本当にそういう人に会ったら、もう何も言えないですね。私なんか、本当に強烈でしたよ。
これは或る日、先生を訪ねてみえた牧師さんがいらっしゃった。事務所の応接室で先生と話を始めたんです。
私は机に座って仕事をしていたんですが、その会話が聴こえてきたんですね。聴いていると、まぁ、牧師が先生を持ち上げるような事ばっかり言ってるんですね。また調子のいい事を言ってるんですよ。
そして、その牧師さんが話を終わって帰られた。で、先生が見送りから帰って来て、私の前をスーッと通って行くのかと思ったら……私の机の前でピタッと止まった。
「何だろう?」と思って、顔を見上げたら、
「朽木さんね、今帰ったお客さんの事、何て思ってた?」(笑)
なんて言われて、もうドキッとした訳です。
「いいえ、私は何も思っておりませんが……」
――聴こえないんですから「いいえ」って言いますよねえ。そうしたら、
「嘘だよねえ、お客さんの事『なんだ、この野郎』って批判してたでしょうが」(笑)
――まあ、言われて、もうカーッとなって……もう分かってるんですよね。(笑)
その時の私は「なんだこの野郎!調子のいい事ばかり言いやがって、牧師だなんて、な~に言ってやがるんだ」と思ってた訳ですよ。(笑)そして或る時には、
「あなたは、こんな部屋で反省していますね。下に絨毯の代わりに、こんな毛布が敷いてあって、机があって、花が置いてあって、ここに戸棚があって、戸はこんな戸ですね。そしてあなたは、こんな格好で反省をしていますね」
――もう、みんな言われる。(笑)その通りに言われるから、本当ですよね。
「先生、家に見に来たのかな」と思うけど、物だけじゃなく心の中を全部言われる。もう吃驚どころじゃないですね。
で、終いに先生と話してる時に、
「あなたはね、今、私と話をしながら、こんな事、考えながら話してますよね」
――もう、その通りなんですね。一体、何処で分かるのかなと思いますよね。
それからは「これはもう嘘が言えない人がいる」と、そう思いましたねぇ。それまでは、ズーッと嘘を言ってたんですねえ、調子のいい事ばかり言ってね……。(笑)
世の中には、そういう人もいるんですよね。――いや、いるから(心の教えを)やるんじゃないですけれどもね。いてもやらない。そして、おかしな事ばっかり考えたり、言ったりする訳です。人間というものは、正直にならなくてはいけない。
ですから、心をちゃんとしてやれば、何も隠すような事は無くなる訳ですよ。
しかしながら、何かしら私も――私なら私の与えられた範囲だけ――(想念帯に書いてあるものが)段々分かるようになってきたんですね。「あ、これは高橋先生が仰っていたのは本当なんだ」と思いましたね。
こういう事が分かった時、これは本当に心というものがあるんだなということが、はっきり分かりましたね。これは不思議でも何でもないんですよ。
本当はあの世というものは、全部分かるようになっているんです。喋らなくても全部分かるようになっているんですよ。
1983年11月