第一話 『人間とは何ぞや』関連の参考講話 短編集
5、足元にある心の修正の場
(32ページ『反省の日々』参照)
私は反省する中で「先ず自分が変わらなくてはいけない。それじゃ、変わるという事はどういう事かな?」と、考えてみたが分からない。
分からないということは、自分の心を外に向けていたということですね。だから気が付かない訳です。棚に上げてしまうんですね。自分は気が付かないで、人の事ばっかりですね。
「ちょっと待てよ、これは違うぞ。それじゃ、なんだろうな?」と考えていったら、そうしたら朝起きてから寝るまでの間のやっている事の中に全部あるんですよ。
「先ず、家の中では何が悪いのかな?」と考えてみた。
自分が家に帰って来て、現実に女房にやらせている事で、自分がやれば、お互いに心が乱れずに、時間もまた掛からずに、幾らでも出来る事があるんですね。それが出来なかったら、絶対に他の事は出来ないということなんですよ。難しい事じゃない。
ところが、みんな知っていてもやらない。「あー、今日やろう」「明日やろう」「いや、明後日やろう」になってくるんですね。
例えば、ここに物があるとする。自分はその近くにいる、
「おーい」
「おとうさん、な~に?」
「おい、それ取ってくれ」
――もう一寸こうやれば(手を伸ばせば)届くのに、近くで「取ってくれ」とやる。女房は茶碗を一所懸命に洗ってますよね。そうしたら手を拭きながら来ますね。
そうしたら「わたしは茶碗を洗っているのに、何でもっと手を伸ばして取らないの?」とカッカしてきますよね。
そうすると今度は、待っている方は「何やってんだ!まだか」とイライラしてきますね。(笑)それを自分でやれば、何にもないんですよ。
まあ、一つの例を挙げますと、こういう事なんですね。
それで私は、そういうような自分で出来る事を黙って始めていった訳です。
そういう中で、私は女房に、
「私も今までやりたい事をやってきたけど、これは私が間違っていた。高橋先生の話を聴いたら、間違っていた事に気が付いた。先生の教えは、とっても素晴らしい。本も素晴らしいんだよ。おまえもこの本は善いから読んでみろよ」
――女房は一切手を触れませんでしたね。もうこっちはイライラしてきますよね。「善い本なのに、何で読まないんだ」って――。(笑)
そうすると、ちゃんともう分かっていますよね、波動が伝わって行きますから、
「おとうさんね、あなたは素晴らしい本だと思ってるかもしれないけれどもね。ところであなたは、今まで一体どんな事をやってきましたか?」
――言われたらもう何にも言えない。(笑)すみませんも何の言葉も出てこない。
それからは、高橋先生の名前も、本の事も一切言わなかったんですよ。
唯ひたすら、自分が毎日それをやろうとやっている。
もう苦しいですよ「おーい、それ取ってくれ」と呼びそうになって我慢したり、呼んでしまったりと、何回も繰り返し繰り返しやって、もう厭だなと思っても「あー、やろうやろう」と自分に言い聞かせてやる。
そして、それから何年かした時に、実は女房が高橋先生の本を全部読んでいた訳です。私はそれまで気が付かなかったんですねえ……。
ですから、私のやってる事を分かっていますよ。女房の方が偉いですよねえ。(笑)
1982年11月