第一話 『人間とは何ぞや』関連の参考講話 短編集
9、この世の自分――六人のうちの代表選手
(58ページ『千数百年ぶりの再会』参照)
私達の魂というのは、六人が一組になって形成されている。本体が一人いて、分身が五人いる。
例えば、この本体の人がいる。本体は強烈な修行をした人、分身の二人も強烈な修行をした人、しかし半分の三人はのんびりして過ごした人――こういう場合、この人(のんびりした人)がこの世に出て来たら、今の私のように大変ですね。
私の守護霊という人は、前にも言いましたように、もう強烈な修行をしてきた人なんですね。身長が二メートルもある人。物凄く厳しい人なんですよ。
「朽木さん、あなたの守護霊は、きつい人だねえ」
と、初めの頃に高橋先生に言われた事があるんですよ。
本当は、魂のグループとして、みんながちゃんとした修行が出来るようにならなければいけないんですね。アンバランスになってはいけないということです。
その修行というものは、拝んだりなんかする事じゃないですね。やはり、
一、自分自身に厳しい生活をして終わったか。
一、自分をよく振り返って終わったか、終わらなかったか。
――そこだけですね。
ですから、その一組のグループが本当に自分の心を浄化する為に出て来るとしたら――自分が今ここにいるということは――先ず自分がちゃんとしなかったら、あの世にいる五名の人が大変な迷惑をするということです。これだけ考えても大変ですよ。
一人がこの世を終わって、暗い処に行ってしまったら、次の人が出て来られないようになっているんですよ。
やはり自分というものが、この六人の代表で、今この世に出て来ているんだということを分からなくてはいけない。代表といっても、自分の都合の良い時だけ代表じゃ駄目ですよ。(笑)
しかし中には、帰ったら直ぐ次の人が出て、帰ったら直ぐ出てと、そういう人もいるんですよ。やはり何回も出て来た方が、どんどん……成長していく。
中には、あの世に帰って、またこの世に出て来る時「私は出たくない」と言う人もいるから、聞いてみたんですが、
「あなたは、何故出たくないの?」
「物の中は厳しいからイヤです」
なんて言う人がいるんですよ。そんな事を向こうに行ってからも言っていたんじゃ、しょうがないですね。
「私は今度、頑張って出て来るよ」と言うくらいだったら良いですけれどもね――。
それこそ生まれる時に、魂の兄弟から、
「おい、元気でやって来いよ、今度は厳しい環境だぞ」
「あー、任せといて、ちゃんとやって来るよ」
なんて言って、みんながみんなこの世に出て来るんですよ。
それで、この物の中に出て来たら、パーッ……忘れてしまう。(笑)
ところが、あの世に帰る時には、魂の兄弟達がみんなで迎えに来るんですよ。
「あっ、帰って来たぞ。ご苦労様」と、言ったまでは良かったけれども、何だか、他に行ってしまった……なんてなったら、どうにもならない。
「いやー、ただいま。やって来たよ」と、一緒に行くようにならなければ駄目ですよ。
「えー、先生の言ってる事、本当かな?」と思うかもしれませんが、本当なんですよ。
この世を終わったら、修養所みたいな処があって、そこに行って、この世にいた時の自分の事を全部、一所懸命に振り返る訳ですよ。思った事・行った事を反省をするんです。生まれた時から死ぬ瞬間までの事を全部振り返る。
そして、この世的に言えば、窓みたいなものがあって、そこに兄弟達が来て、「あ、やってるやってる」と、言いながら待っているんです。
そして、ちゃんと(心の浄化が)出来たら、一緒に帰るんです。楽しいですねえ、人間というものは……。(笑)
あー、それなのに、それなのに……。(笑)みーんな暗い処に行ってしまって、あたふたしてしまう。