心の旅路

 

第一話 『人間とは何ぞや』関連の参考講話 短編集

 

15、親子の約束――水子と良心

(79ページ『縁とは約束事』参照)

 

人間は誰でも、みんな縁を持って出て来ているんですね。みんな縁を媒体にして集まったり、いろんな事をしている訳です。

「袖振り合うも他生の縁」

と言いますが、これは、多少の多い少ないじゃなくて、他で(過去世で)生まれた時の縁ですね。

これは、他所であった事ですが、個人相談にみえた方がおられた。

私の前に座った。座って、まだお互いに何も言わないのに、その方が急に泣き出したんですね。それで本人は、

「私はなぜ、泣いているのでしょうか?」

と言っている訳ですね。初めて会う人ですよ。

だけれども、そのなぜを言う訳にいかないんですよ。

「さあ、私も分からないです」

という外にない訳ですよ。そして、ワーワー泣いているんです。

ところが、泣いている人は本人じゃないんですよ。その人の魂のグループの人で、かつてこの世に出た時に、やはり個人相談にみえた方なんですね。その人が出て来て泣いている。本人は分からずに泣いている訳ですね。こういう人、何人もいますね。

私達の中はそういうふうになって出来ているんですよ。

そして、親子の縁ですが、子供というものは、実はこの世に出て来る78年前に、あの世で親と約束している訳です。これは魂の世界で決められているんですね。

「今度あなた達が出る事を聞きました。結婚する事も聞きました。どうか、今度あなた方の子供にしてください」

という事ですね。そして、親になる人が先に出て来る。お見合いであっても、恋愛であっても結婚する訳ですね。夫婦も当然約束事ですね。

しかし、お互い会えない場合もありますから、夫婦其々何人かずつ複数で約束する訳です。そして、結婚して妊娠をする。中には「困ったなあ」という人も出て来る。

しかし、それは全て約束している訳ですよ。両親との約束であったり、父親か母親の、どちらかの約束の場合であったりと、親子の約束をしている。

それを今度は反故にする――お腹の子供を堕ろしてしまう。

母親のお腹に子供がいる時、まだ二ヶ月位の頃には、この胎児には魂はまだコンタクトしていないんですよ。あの世からは、

「あ、私の乗る肉体舟が出来てきたなあ」

と観ている。大体三ヶ月目に入ってから、その頃から魂が入って来る訳ですよ。

霊子線(肉体と魂を結ぶ線・光のドーム)で繋がっていますから、出たり入ったりする。そして生まれるまでの間、自分がどんな状態か観たり、出て行ったりと、いろんな事をしている訳です。

ですから女の人は、この霊子線が二本ある訳ですね。

ところが、この妊娠三ヶ月目に入って、その後、魂がコンタクトしてしまってから堕ろすと、当然この胎児の人はパーになりますね。折角順番が来てこの世に出て来たのに、送り返されることになる。

この送り返された魂は、赤ん坊ですから帰れない。そうすると、本人の魂のグループが、ある程度大きくなるまで、あの世で育てることになる。――これは、この世的に説明すると、そうなる訳ですよ。

この人が今度、この世に下生出来るのは、千年位後になるんですよ。

そして、お母さんのお腹の中で九ヶ月過ごして出て来る。

親というのは、子供に対して責任がありますね。大人にする責任がある。

子供の方は、親が約束を果たしてくれたんですから、それに対しての感謝がなければいけない。親孝行というのは、その辺から始まるんですよ。

親に育てて貰ったとか、そういう事ではなくて、あの世での約束を果たしてくれた訳ですからね、親孝行は当然です。

親は、子供を大人にするまで一所懸命に育てていく。教育するのは当然のこと。

今の世の中はそうなっているのか、なっていないのか、自分の周りがどうなのか、自分はどういうふうになっているのか――それをよーく振り返ってみる。

自分の心の歪は知らない間に、当然だと思って造っているのが沢山あるんですね。

子供は17歳まで、責任を持って育てなければいけない。

昔の人は、16歳位になったら、髷を結って大人になる儀式(元服)を挙げた。昔の人はよく分かっていたんですね。

実は、子供が17歳(魂の世界で決められている)までの、病気にしても、怪我や事故でも、何か起こったら、全て親の責任なんですよ。親の心の歪によって出来てくるものが多いんですね。本当は、人のせいには出来ないんですよ。

もし自分の子供が、17歳以下で、身体を悪くしたり、何かあったら、先ず親が「私達の生活に何か歪があるんじゃないだろうか」と考える必要があると思いますよ。

それから、結婚をして、中には姑さんと同居する嫁さんもいる。姑の中には意地悪な人もいる。お嫁さんは姑に泣かされる。

今度は反対に、姑に飛び掛かって行くような嫁さんもいる。(笑)元気なのもいるんですね。私の知っている人が、よく姑と取っ組み合いの喧嘩をするんですよ。その時だけ、私は呼ばれるんですよ。(笑)行くと、

「いやあ、私が悪かったわ、お義母さん」

「いや、私の方も悪かったよ」

と両方で言っているんですよ。

そして、私が帰ったら、また取っ組み合いをやっているんですよ。(笑)

「あんたらねえ、過去世で仇同士だったんだよ」

なんて言って、笑いますけれどもね。(笑)

実は、嫁・姑というのは、過去世で、かつて親子であったという人が多いんですよ。全部とは言いませんけど、多いですよ。当然、お婿さんとも縁がある訳ですからね。

本当にそういう事が分かったならば、お互いに大事にしなければいけない。

やっぱりお嫁さんにしてみれば、全然知らない家に行く訳ですからね。来られる方では、良い人に来て貰いたいから、何かあると、いろんな事で粗探しをするようになる。またその粗が目に付くんですねぇ。

何故かと言いますと、探そうとしているから……。(笑)

最近は、嫁さんにしろ、姑さんにしろ、みんなおんなになってしまっているんですね。そして、その真ん中に旦那さんがいる。その中で、もうウロチョロする訳ですよ。

ですから私はよく言う、

「あなた達は、自分の家の大黒柱を揺すっているのと一緒だよ」

――本当にそうなんですね。嫁・姑の仲が悪い人は、大黒柱を揺すっているのと一緒ですよ。そのうち、ぶっ倒れますよ。共倒れになる。

ですから、仲の悪い人がいたら、仲良くしなければいけないですよ。これは表面だけではなくて、強いてでも、心から仲良くしなければいけないということですよ。

これは姑さんだけじゃなくて、お義父さんの方も同じですね。お義父さんの場合は、異性ですから、そんなに強烈じゃないですね。中にはとんでもない人がいますけどね。しかし、男の方でも、縁というものが、うんとあるんですよ。

私達は、そういう縁生というものを大事にしなければいけない。

そして永い間に、兄弟だった人は、友達になったり、夫婦だった人が、今度は兄弟になったりと、本当にそういう事をしているんですよ。

皆さんも、こういう話を聴いたら自分で行ってご覧なさい。そして二年掛かっても三年掛かっても良いですよ。高橋信次先生の話や本に書いてある事が、本当に分かってきた時に、自分で身を以って体験した事を、それを人に伝えて貰いたいですね。

何も、人を連れて来たり、呼んで来なくてもいい訳ですよ。その次の人が伝えて、その人が幸せになって、調和のある生活が出来るようになったら、こんな素晴らしい事はないということですね。――それで良いんですよ。

それが本当の仏の教えじゃないかと、私は思っております。

しかし、実際にそれをする為には、みんなが実行していって貰わなければいけない。

今まで不調和を起こしてきて、今ここで分かった人は、償いをしなければいけないですね。

例えば、妊娠中絶した子供の事ですが、水子供養というのは、みんな良心が痛むからそうするのであって、痛んでいるところに、人から「水子供養しなさい」などと言われると、弱みもあるから、それをやれば供養になると思って、本気になってやるんです。

 そうすると、それに付随した物を買わされたり、お金を出してしまったりする訳ですよ。みんな金儲けにしてしまう。――これは間違いですね。

そうしたら、どうすれば良いですか? ――自分がそうした歪を造ったとしたら、より以上に調和された自分の生活にしていくことが大事です。お互いの事を考え、調和していく。そういう生活が、実は水子供養にしても、先祖供養にしても全部繋がっていくものなんです。

「こうだから、こうしなければいけない」というものは、形だけのものになると、とんでもない方に行ってしまう。

そして供養してくれるという処に行って、みんな念じるんですね。

ところが、そういう供養する場所には、今度は関係の無い人まで来て、願い事を掛けていくんです。水子が可哀想で来るのではなくて、石のお地蔵さんに自分の願い事を掛けに来る訳ですね。

終いに、自分の眼が悪いから、お地蔵さんの眼を擦って自分の眼に付けている人まで出て来る。(笑)この文明の世界に、非科学的な事を平気でやるんですね。

皆さん笑うけれども、本当にそういうのがあるでしょう。耳が良くなるというお地蔵さんは、石の耳が無くなるまで擦る。(笑)先ず人間というものは酷いもんです。

そして先程の、妊娠三ヶ月目になる前に流産したり堕ろしたりした水子は、ちゃんと戻っているんですね。また、次に妊娠した時に直ぐに出て来れる訳ですね。これは、次はこの親とは限りませんよ。他にも縁がある訳ですからね。

ですから、三ヶ月目になる前にしろ、三ヶ月目以降にしても、堕ろした子供が地獄界に行ってしまったということは、絶対無い訳ですよ。

しかし約束を反故にしている訳ですから、今度あの世に帰って、また出て来る時に、

「私達の子供になってください」

「いや、もうあなた達とは約束しませんよ」

と断られますよ。

反対に子供の方がズッコケてしまって、親に散々心配を掛け、迷惑を掛けたら、

「もうあなたの親になるのは、ご免です」

とこうなってくる。これは、あの世もこの世も、そういう事は変わりがないですよ。

そうすると、水子供養・先祖供養も、お経を上げて、線香を上げて、お花を上げて、本当に供養になるんでしょうか。――自分の心を正さない限り、供養にはならないんですよ。その上で上げるなら、良いですけれどもね。――まあ、良いですという事もないんですが、それをやらなかったら、お坊さん達が商売にならなくなってしまいますよね。ですからまあ、半額に値切ってもいいですから、(笑)そういう事をよーく知らなくてはいけないということです。

自分がこの世を終わる時に、

「ああ、幸せだった、この話を聴いていて良かったなあ」

と言えるようになったら素晴らしいですね。

これは、若いから終わらないとは限らないですよ。若くても、年寄りでも、何時かは終わる訳です。「イヤだ」と言っても来ますね。

そして、人間は絶えず孤独なんですよ。独りなんですよね。生まれて来て、みんなでワーワーやっているけど独り。終わるのも独り。夫婦喧嘩をやっても、終わってしまえば独り。

そうしたら、今まで夫婦喧嘩していたけれども、一寸止めて半分位にしようと思ったり、少なかったら今度やってみようとか、(笑)出て来るかもしれないけれども、まあ、そういうのはいませんね。

やっぱり調和して、そしてこの世を終わる時に「今度、出て来た時に、また一緒になろうね」と、夫婦で言えるようになりたいですね。

まあ、私なんか、言ったら断られちゃったですけどもね。(笑)これじゃあ、駄目だ……。(笑)まあ、もう少ししたら「勘弁してやるよ」なんて言われるかもしれませんけどね。

1980年9月



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