第一話 『人間とは何ぞや』関連の参考講話 短編集
16、想念帯――記録されている人生の全て
(83ページ『己が己自身を裁く』参照)
この世を終わった時に、地獄界の入口で閻魔大王がいて、一人ずつ、
「おまえ、こういう事をしたな!」
「いや、そんな事してません」
「おまえ、そう言うなら、舌出してみろ」
って、舌を抜く訳ですね……と、そうじゃないんですね。この仏教的に伝わった閻魔大王というのは、実は自分の心の中にある想念帯の事を言うんですね。
人間には、一人一人心の中にこの想念帯というものがある。ここに自分がこの世で思った事・行った事を記録したものが、全部あるんですよ。毎日の一秒一秒の事が全部記録されている。一つとして漏らしていない。
自分がこの世を終わって、帰る時になったら、何も持っては帰れないんです。この肉体でさえも、持っては帰れない。
持って帰られるのは、これだけなんです、想念帯だけ――。
この世を去った後、修養所みたいな処で、先ずこの想念帯の中の、この世に生まれた時から死んだ瞬間まで全部見せられる訳です。
それは、ちゃんと映画のように、声も姿も全部出て来ますよ。
そして、一つ一つ自分の思った事・行った事を、全部ザーッと見せられる訳ですよ。
人間というものは、みんな悪い事ばかりはしていないですよね。たまに善い事はしていますよね。要は、この善い事が何回ぐらいあったかということです。
この世的に説明すると、悪い行いは黒色で書かれている。善い行いは金色なんですよ。ですから、そこを読まなくても見ただけで分かりますね。金と黒のどちらが多いか直ぐ分かる訳ですよ。
そして、この場所で反省を誰もがしなければならない。
その中で、間違いがあったら、その行いを変えていく。悪い行いが正されたら、今度は赤い色で訂正される。書き換えられるようになっている。
そして、最後に残ったものがどれくらいあるかということになる。
そしてそれに従って、其々の行く場所が決まってくる。
――これは、この世的に言えば、このようになっているんですね。
閻魔大王がいて、決める訳じゃないですね。閻魔大王は、実は自分の心の中にいるんですよ。自分の心は、自分で裁く――。
そして自分がその時に「あっ、私はこういう目的で出て来たんだけれども、わたしは全然違う事をやっていた」と思い出す訳ですね。
これは、やり直しをしなかったら、帰るべき処に帰る事は出来ませんよ。――それが地獄界ですね。お化けになってしまう。(次の『心の病』へと続く)