心の旅路

 

第一話 『人間とは何ぞや』関連の参考講話 短編集

 

17、心の病――明け渡してはならない心の王国

(83ページ『己が己自身を裁く』参照)

 

今、肉体を持っている私達でも、ちゃんとした生活をしなかったら、亡者になるんですよ。「なりたくないよ」と言っても、なってしまうんです。しょうがないですよ。

先ず私達が、そのようにならないように、今からでも正しい生活をしなければいけないということなんですね。

お釈迦さん=仏さんは、そういう事を話しておられた訳ですよ。

何故かと言いますと、こういう亡者が一杯になると――亡者はこの世に執着を持っている訳ですからね――その執着を果たそうと思って、この物の中=我々が住んでいる処に帰って来て、残した想いを果たそうとしている訳ですよ。

しかし、世界が違うから出来ない訳ですよ、肉体が無いですからね。この三次元の世界は肉体が無いと動かす事が出来ない。

そうすると、どうするか? ――自分と同じような心の状態の人を探す訳です。

それで、丁度良い人がいたら、その人にコンタクトして、その肉体を使う訳です。

そうすると、昨日までちゃんとしていた人が、「あれえ、おかしな事を始めたぞ」というのは、実はこれなんですね。

精神的におかしくなっている人で、こういう人は多いんですよ。

そのものズバリ――これ(肉体)を動かしている人が変わってしまう訳です。

そうすると世の中は、大なり小なり段々おかしくなっていく訳です。

巷の拝んで貰う処に行ったら「声が聴こえた」とか「いろんな事を喋ってくれる」とか、段々恐ろしい事を言い出す人がいるんですよ。そんな人、一杯いますよ。

「先生、何とかなりませんでしょうか」

「あなたは、いろんなものが聴こえるでしょう」

「はい、聴こえます」

「あなたは、よくここまで来れましたね」

「いやもう、必死でした」

「しかし今あなたに『聴くな、聴くなよ』って傍で言ってる人がいるよ」

「はい、言ってます」

――もうこうなったら、お終いですよ。しょうがないから、

「あなた、ちょっとこっちへいらっしゃいよ。あなたの後ろでね『私は彼氏です』って言ってるけど、本当なの?」

「いやあ……そんな事、分かりません」

「だけど、そう言っているけど――」

「えー!」

――怖いですよ。後ろにいる人が聴かせないんですね。しかし、本人は何とか相談しに来ようと思ってるんですね。

これは、自分意外の者で、この世を終わっているのに、帰ろうとしない者がコンタクトしている訳です。

それで、自分は追い出されてしまって、自分に戻ろうとしても、自分の意識の中に、何だか入れないんですよ。これが、精神的におかしくなっている人ですね。人に自分を貸してしまう訳ですよ。これは駄目ですね。

ところが、借りたい人が一杯いるんですよ。「今、家が無いから、何処か良い貸家があったら入ろう」というのと一緒で、待っているのが一杯いるんですよ。

そして、少しでも隙があれば、サッと入って来られる。それで自分が追い出される。

そうしたら、おかしな事を言い出す。今まで佐藤さんだったのが、昔の五郎兵衛さんが喋り出すから「おかしいなあ」になってくる。喋っている人はおかしくないんですよ、ただ体を交代しただけですからね。聴いている方がおかしく感じているんですよね。

そして、一人だったらまだ良い方ですけど、これに二人も三人も入ってくると、もう眠れない。眠れないですね。もう入って来る人が、その体を使って喋りたいから、次々に来て寝させないんですよ。いろんな人が来て喋り出す。もうこうなったら大変ですよ。精神分裂ですね。

それで「これは、寝かせなければダメだ」ということで、睡眠剤を飲ませたりする訳ですね。これは、眠ればあの世の住人とコンタクト出来ない訳ですよ。その人が眼が覚めて、活動を始める――そこにコンタクトするんですよ。怖いんですよ。

自分の意識・自分の体――これは自分なんですよ。何処までいっても自分。

自分の王国は大事にしなければいけませんね。

私達は、これ(お化け)にならないようにしなければいけないですね。

今ここ(地獄界)が物凄く多くなってきている訳です。多くなってはいけない。

私達は、全て自分自身の中に全部あるんですよ。あの世の事も、この世の事も、全てあるんですよ。これはこっちだということは一切無いのです。

何故かと言いますと、私達に空気を与え、自然を与え、生かし続けている神がいる。

水道料を払った水道の水にしても、全部自然界のものですね。私達にそういう環境を与えてくれているのが神なんですよ。

そうしたら、私達の心の中に全部ありますね。

善悪というのも、実は神の心の中なんですよ。これは私達に慈悲として与えられている訳です。

そうすると私達は、善悪両方あるから、善も悪も分かる訳です。善だけだったら、何が悪なのか分からない。改める事が出来るのも、善悪両方があるから出来る訳ですよ。――それがこの世の良いところなんです。

私達の故郷である光明の世界に行ったら悪がない。善のみの世界。ですから善悪のどちらか分かるまで大変な時間が掛かる訳です。

そうすると私達は、想念帯を通している、その今が大事だということです。

1981年11月



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