第二話 『心と肉体と経済と』関連の参考講話 短編集
1、ある行者の懺悔と決断――業に流されない自分
(182ページ『魂のグループ』参照)
これは、九州の行者の方でしたけどね、もうこの会場には、いらっしゃらなくなりましたが、皆さんの中で知っていらっしゃる方もおられると思います。
私は「あの人、どうしているのかな、大変なんじゃないのかなあ」と思っていますけどね……。
この方は、本屋さんで高橋信次先生の本が目にとまり、買って読んでみたところ「これは大変だ。わたしがやっていた事は、人を迷わしていたのではないのか……」と思ったんですね。
その人の話というのは、こうなんですよ、
「わたしは行者を十数年やってきて、信者も沢山おり、多くの人に加持祈祷(呪文を唱え、神仏に祈る事)をして、悩み相談や病気治しをやってきました。
或る日、行者の仕事で使う本を本屋さんに買いに行った時の事です。
目的の本を買って店を出ようとした時に、本棚に『悪霊/高橋信次著』という本があるのに気が付いたのです。しかし、表紙だけ見てそのまま外に出ました。
4~500メートル歩いたところで、どうしても気になって、また戻り始めたのです。そして、気が付いたら、その本を手にしていました。
急いで帰って、その本を読みました。わたしがやっているような事と、同じ事が書いてある。これは、わたしは間違っているのではないかと思いました。
そして『悪霊・第二巻』が出版された事を知り、買って夢中で読みました。
そして考えた挙げ句、わたしは思い切って行者を辞めようと決心しました」
ということなんですね。――これは偉いですねぇ。本当に勇気ある人だと思います。
そして「辞めよう」と自分で心に言い聞かせた時に、何かしら、身体がおかしくなってきたんですね。さあ、今度は大変です、動けなくなってきたんですよ。
病院に行ったら、即入院だったそうですよ、気の毒にね……。
ところが、入院していた或る日のこと――午前2時頃、自分の寝ているベッドの周りで、ガヤガヤ……人の声がする。「何だろうな?」と思って、眼を覚まして周りを観てみたら、知らない人達が話をしている。
もう吃驚したけれども、よーく観てみたそうですよ。男が三人、女が二人いる。しかも喋っているのは日本語じゃない。みんな外国人なんです。しかし、何を喋っているのか分かったそうですよ。男の方の三人が、
「この人は、このままここに(この世に)置いていたら、我々が困ってしまうから、引き上げてしまおう」
そう言ったそうですよ。「あっ、引き上げるって事は、わたしは死んでしまうのかな……」と、そう思ったそうですよ。そうしたら、女の方の二人が、
「もう少し、様子を見てみませんか」
「もう少し、やらせてみてはどうですか――」
と、一所懸命に食い下がっているんですね。
そうしたら、男の方の一人がそれに同調し、その後みんなで、
「それじゃあ、もう少し、様子をみることにしましょう」
そう言って、五人の姿はパッと消えていなくなったそうですよ。
さあ、今度は気になりだしましたね、これは――。当然気になる、自分が観て、聴いている訳ですから――。
「あれは、一体何だったのだろう」と、それが、疑問で疑問でしょうがなくて、私の事を人に聞いて、実は相談しにみえたんですよ。
その時に私は、六人の魂のグループの説明をしてあげたんですよ。人間一人一人 には、どんな人でも、自分の他に、必ず魂の兄弟が五人いることを――。(注・この方は男三人・女三人の男女混合の魂のグループ)。
「あなたは、よく自分で決心しましたね」
「有り難う御座いました。これでよく分かりました」
それで、その方は帰られた。
それからは、ここにはみえなくなったんですが、その後、また入院されたそうですよ。
いいですか、自分が他の事に心が行ってしまうと、自分が立ち上がる時に、どうしても抵抗が起きてくるんですね。これは、作用と反作用の法則ですね。
入る時には、簡単に入ったけれども、辞める時は大変なんですよ。
普通は「やっぱりダメだ」とまた戻ってしまうけれども、この人は戻らなかったんですね。
しかし、食べていかなくてはいけないから、他へ引っ越したそうですよ。そうですよね、今まで神さんだった人で、しかも信者さんも沢山いるのに、その辺の処でパートで勤める訳にもいかないでしょうからね。
その後、佃煮を作る工場に行っていると、そこまでは聞いていたんですけど……。
よしんばその人が、悪霊に散々にやられてこの世を終わったとしても、私は素晴らしいと思いますね。その人が、この次、またこの世に出て来た時に、その続きを絶対やると思いますよ。
そして人生を立派に送っていけるのではないかと思います。
人間というものは、そういう事を、繰り返し繰り返しやっているんですよ。
それで、自分が好きなものだから、また、そんなふうになりそうになって「あっ、これはいけない」と下がってみたりと、やっているんですね。
――それを 〝業〟 と言うんです。業に流されてはいけない。
やはり、こういう話を聴いたら、人に対して、
一、本当に調和の心で人に接しているのか
一、自分が喋っている言葉は、相手を安心させるような事を言っているのか
一、人を馬鹿にしているような事を言っていないか
一、遠慮し過ぎているのではないか
――そういう事を振り返る必要があると思うんですね。
遠慮し過ぎていたら、もっと話をさせて貰うとか、喋り過ぎる人は、口にチャックをするとか、(笑)いろいろありますよ。
そのような事が出来るようにならなければいけないですよ。これは、人はしてくれないですよ。
毎度申し上げますように、私ぐらいの者が話しているんですから、これは簡単な事なんですよ。私は小学校五年生きり出ていないんですよ。その人間が話しているんだから簡単ですよね。(笑)何処かに留学したり、何処かの大学を出て来て言っているんじゃないんですよ。本当に簡単です。やるか、やらないかなんですよ、要は――。
ですから、一所懸命にやって終わる――そういう時間がなければ駄目なんですね。
家の中で、夫婦で何か言い合いをしたら「面白くないな」と思わずに、厭だと思ったら「ああ、わたしは厭な事を言われた。悪い処があるから言われるんだ。それじゃ、一体何故、そういう事を言われたのかな?」と、そのように受け取っていったら、喧嘩も無くなりますね。
確かに、自分が心の中で感情が高ぶるのは、自分の悪い処を言われたりなんかした時になるんですよ。人間は、自分勝手なんですね、都合の良い時はニコニコしている。
しかし、同じ事を言われても、何か自分の虫の居処が悪いとカーッとなってくるんですよ。それは、言った人、相手によって違って来るんですね。
ですから、そういう身勝手なものが、毎日どういう場合に、人の前で出て来るのかをよーく知らなくてはいけないですね。
難しくないですね――。高橋信次先生のお話というのは、物凄く簡単ですね。これ程簡単な事はないですよ。