第二話 『心と肉体と経済と』関連の参考講話 短編集
3、眼に見えないもの――機械文明の弊害
(184ページ『末法の世』参照)
今のコンピューターでも、このままいってご覧なさい。みんな付いていけなくなって、精神的におかしくなる人、一杯出て来ると思いますよ。
一体どうなってるんでしょうか――ということですね。
皆さん、この目の前の空間には、何にも見えないように思うけれども、実は、この中にいろんなものが一杯あるんです。皆さん、見えたら吃驚しますよ。
普通は観ようとする意識がなければ、眼に入らないけれども、空間に意識を持って行ったら全部観えますよ。
コンピューターの仕事をやっている人には悪いですけれども、コンピューターが全て良いとは言えないですよ。コンピューターはもう暫くしたら、頂点に来ますよ。
我々の目の前にある空間を、沢山のいろんな波動が往き来しているんです。
実は、コンピューター機器の中には、機器が出す波動と、人間の脳波の二つが、一つになってしまう処があるんです。これが非常に危険なんですよ。私は、その辺の科学的な事は知りませんけれどもね、私の守護霊曰く、
「今のコンピューター機器の中の、ある部分に、そうなる処がある。これで人間がおかしくなる」
とそう言うんですよ。こういう技術が進めば進む程(処理能力が早くなれば早くなる程)、そういう事を分かってやらないと大変な事になってしまうんですよ。
私は前からよく言っているように、今の人間が、インターネットとか、メールとかコンピューターに夢中になってしまうと、おかしな人間が一杯出て来るようになるんですよ。この頃の科学者は、
「そのうちに、コンピューターが人間のやる事を全部きちんと決めて、それを人間がやるようになりますよ」
と言う。一寸おかしいんじゃないでしょうか。人間は一体何処に行ったんでしょう。こういう事も今、分からないですよ、便利過ぎて――。
コンピューターは機械です。造った人がいて、それを動かしている。
ところが、コンピューターが私達を動かしていると思ってしまう。
こんなふうだったら、コンピューターなんか要らないですよ。
これからは、脳の病気の人が沢山出て来るんじゃないでしょうか――。
この日本だけでも見てご覧なさい。若い人は何をやっていますか? ゲームセンターにもコンピューターが多いですね。もう既に、ゲームセンターに行って、ピコピコばっかりやっている子供達は、頭がおかしくなっている子がいますよ。
遊ぶ事ばかりに集中する。良い事に集中するなら良いですけど、みんな悪い方へと行ってしまう。
この頃は、学校で小学生からコンピューターを教えようと言っていますね。そういう事を学校から家から、みんな平気で当たり前のようにやっているんですよ。
あの携帯電話だって見てご覧なさい、あれだけいろんな機能を入れて、あれが必要なんでしょうか? ――「もしもし」って話をする、その必要なものだけあれば良いんじゃないでしょうか。
「人間はあの電波で頭がおかしくなる」と言っている人がいましたけど、これは本当ですよ。あれで、いろんな電波が体中をグルグル回ってしまうんです。
我々の物質の中にも、眼に見えない世界が物凄く多いんですよ。眼に見えないのは、良いものは少ないですね。おかしなものばっかりなんですよ。
そういう今の機械類は、人間が良くなる為に造ったんですか? ――あれは全部違いますよ。人間が動かなくなる、人間を夢中にさせる、そして、人のせいにする――そういう、もう人間を駄目にさせるものなんですよ。
そうしたら、みんなこういうものにブァーッと掴まっているんですよ。
この前会ったアメリカ人が、
「日本は、後10年も経ったら、無くなるんじゃないでしょうか」
「何故ですか?」
「あの携帯電話、どうしたんですか? 日本人は、何処でも夢中になってしまって」
と、アメリカ人が見て言ってましたけど、アメリカも多いらしいけど、日本ほどじゃないらしいですよ。
科学者や技術者は、
「あなたは、コンピューターの事、よく知らないから、そんな事を言うんですよ」
と言うでしょう。
しかし、科学者が知らないような科学的なものが、厳然としてあるんですよ。
私達は、これが文明だと思っている。今の文明は、人間を滅亡させるみたいなもんですよ。こんな文明なら無い方がいいですよ。私は、やがて無くなると思いますよ。
しかし、これが無くなる時に、皆さんどうなるか分からないと思いますけどね……。
便利だと思って使っていた物が無くなってご覧なさい、どうなりますか? ――そういう事をしっかり分かっていないと駄目ですよ。
そうしたら、私達は科学でも何でも、他人事だと思ってはいけませんね。
やっぱり私達は、本当にちゃんとしたものを、心の中に持っていなければいけないですよ。自分の事も大事かもしれませんが、お互いに心の中にあるものを交換出来るような人生を送らなくてはいけませんね。――私はそう思いますよ。
2002年6月