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第1話
2007.6.9更新
22,ある僧侶の相談――お墓への執着
先日、或る僧籍にある方が、相談にみえた時に、こんな話をしていらしたんですね、「実は、お墓の事でお尋ねしたいのですが……」
――何だか変ですよね、お坊さんが私にお墓の事を尋ねるなんて……。(笑)こっちが聞きたいような話ですけれどもね。
この方は、田舎の方の方なんですけれども、その土地の人じゃない訳ですね。そこのお寺に他から来た人なんです。
実は、その土地にお墓があるんですが、その辺は昔から土葬なんですね。しかし、土葬をしていくと、段々段々場所を取っていく訳です。
で、土地の代表の人達が集まって、この傍にもう一つ墓地を造って、そこに其々石碑を建てて供養しようという事になった。そして、新しい墓地が出来上がった。
ところが、人間というものは、田舎の方に行けば尚更そうですが、墓の位置の順番で争いが始まった訳なんですよ。「家が本家だ」とか、「分家なのに、家の前に来るってのはどういうことだ」とか、大変な騒ぎになったそうです。中々解決しない。
しかしまぁ、漸く何とか片が付いた。
実は、そのお坊さんの先祖のお骨も、その昔からの墓にあるんですね。ところが、
「こんな争いする処の墓地には、自分は入りたくなかったんです」
と、そのお坊さんが仰るんですね。
それで、近くにもう一つ市営の墓地があったそうですよ。そのお坊さん、そこを買った訳です。しかし、こちらに自分は入りたいけど、古い墓地には自分の両親がいる。墓地が二ヶ所になった訳ですよ。それでその方が、
「これをどのようにしたらいゝでしょうか、お聞きしたいのですが……」
という事だったんですね。私は、
「そのままにしておいたらいゝじゃないですか」
「いやぁ、しかしお墓が二つあるってことは、おかしいですから……」
「それじゃ、古い方を掘り起こして荼毘に付して、それを新しい方に入れなさいよ」「いやぁ、深くてそんな事は出来ないと思いますが……」
「深くったって、あなたが掘るんじゃないでしょうが。誰かに頼んで掘って貰いなさいよ」
「いやぁ、それはちょっと……出来ませんねぇ」
「出来ない事、私に聞いたって、そんな事分かりませんよ」(笑)
「どうしたらいゝんでしょうかねぇ、先生」
それで私はね、
「あなた達は、魂を入れたとか、出したとか、そういう事をやらないんですか?」
「あゝ、それならやります」
「あなた、お坊さんだから自分でやればいゝじゃないの。古い処に行って、『今から魂を抜きますよ』ってやって、新しい方に魂を入れたら、古い方は要らなくなるじゃないの、それでいゝよ」
「あっ、そうですよね。そうしましょうかね、それにしましょう」
――そうしましょうかってねぇ……。(笑)この人、お寺さんですよ。
そういう人が、誰か亡くなったら、どうするの? ――お参りに来るんですよ。(笑)お経を上げに来るんですよ。全く参ってしまいますねぇ……。
ところが、こういうのが今は当たり前、普通なんですよ。迷っている人が拝むんですから、(死んで)迷っている人は、尚迷ってしまいますよ。――そうですね。
その後、どんな事をしたのか分かりませんけれどもね。これもやはり執着ですね。お墓に対しての執着ですよ。
この頃は、墓地の宣伝をしてますよ。昔の墓地に比べれば明るくなりましたよ。公園になったりしてね。まぁ、その辺は非常によろしい。
まぁ、私達は、こういう話を聴いても、中々出来ないと思いますよ。
例えば、私が今ズーッと話してきたように、「あの世があるんですよ」とか、「捨てる場所があるんですよ」とか、「人間の心っていうものは、物凄く感情の起伏が激しいんですよ」とか、話しましたよ。
それじゃあ、家に帰って、本当にやりますか――。
例えば、「高橋信次先生の本は読まなくちゃいけませんよ」って私は言います。どれだけの人が本当に本を読んでいるかということですよ。
ところが、実際に本を読んでみると、読むっていうことは中々大変なんですね。学校で本を開いて、「みんな聴きなさい、読みますよ」と言うなら聴くかも知れない、読むかも知れない。しかし自分一人になると、やっぱり人間というものは、自分自身には甘い訳ですよ。善いと思っても中々出来ないんですね。
私が、「本を読みなさい」と言っても、「あゝ、そうですか、読みました」と、中々そうはいかない。余程本を好きな人でも読まない。
そうしたら、これはどのようにしたら良いでしょうか? ――これは何時も申し上げますようにね、一行でも良いですから読みなさいということですよ。一行でも良いですよ。そういう習慣を付けなかったら読めないと思いますよ。――そうですね。
その辺が、やはり人間というものは、何事に於てもそうだと思うんですよ。努力ですよね。それをやるだけの、やっぱり勇気がなければ駄目ですよ。そんな事は勇気じゃないと思うかもしれませんけれどもね。
そうでしょう――自分がやっている中で、自分にきつい事をやるのは勇気じゃないでしょうか。自分の事を人に見せるのが勇気じゃないですね、これは――。
幾ら、「高橋先生の話は良いですよ」と言っても、受け取った人がやらなかったら何にもならないですね。
私は、「やってください」とも言わない。「やれ」とも言わない。「こういう事ですよ」とは話する。
しかし、それは何故でしょうか? ―― 一人一人の心の状態は、其々みんな違う訳です。私よりもっと知ってる人もいる。やってる人もいると思いますよ。しかし中々いないんですね。
で、「あっ、お墓ってのはお化けがいるそうだぞ」と、それくらいの事は、聴いた事をみんな持っていくと思うんですよ。(笑)
皆さんもね、今日は本当に大事な時間を割いて、ここに来ていらっしゃると思いますよ。――そうですね、遊んでる時間じゃないですよね。暑いところを、こうやってここまで電車に乗って、いらっしゃる訳です。
こういう話というものは、自分に当てはめてみて、それを無駄にしてはいけないということですよ。無駄にしてはいけない――。
「誘われたから」、「しょうがないから」と来るんだったら、来ない方がいゝですよ、本当は――。
自分がここに来て、何かこう一つでも自分というものに、大事なものを受け取って帰らなくてはいけないと、そうであるならば、話をする私の方も良いですけれどもね。これは何処に行って話をしても一緒ですね。
――次回に続く
次回『23、悟りは毎日の生活の中に』の更新予定は、6月の第3週です。
どうぞお楽しみに。
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