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第1話
2007.6.17更新
23,悟りは毎日の生活の中に
皆さんも、高橋信次先生の本を読んでいらっしゃる方は分かっておられると思いますが、お釈迦さんという方は、二九歳の時に自分の城を飛び出した訳ですね。
何故、飛び出したかと言いますと、自分の生活環境と自分以外の環境を見て、「人間というのは、何故、こんなにも不平等なんだろう。何かあるのではないか」と疑問を持った訳ですね。
城の王子だった訳ですね。自分は継母に育てられた。いろんなものがあった訳です。
しかし、それから数年後、お釈迦さんが悟られる時に、パピアス・マーラーという魔王が出て来て、
「おまえは、そういう事は止めろ。止めたらおまえに、世界中のあらゆるものが従う力を与える。おまえは城に帰って面白可笑しくやった方がいゝではないか」
――その通りですねぇ。お釈迦さんもその時フッと、その言葉に引っ張られそうになった。しかし、そこはお釈迦さんだ――。お釈迦さんは、魔が言っている事を見破った訳ですよ。
お釈迦さんは、出家してその後、疑問を追求していった訳ですね。そういう中で、もういろんな処の修行所を歩いたんですね。先ず最初に行ったのは、アララ・カラマーという仙人の処に行って修行したけれども、分からない。他にもいろいろ行ってみたけれど、誰も本当に分かるような人がいなかったんですね。
それで、ピパラー(菩提樹)の木の下で、今度は自分で禅定を始めたんですね、六年間――。六年間座っていたんですね。
しかし、座っていても、これでは分からないんだということに気が付いた訳です。
そして六年目の十二月にネランジャラ川に行って、沐浴していたんですね。水浴びをした。
そうしたら、村の娘が歌を歌っているのが聴こえてきた、
「♪~弦の音は、強く締めれば切れてしまう、弱けりゃ音色が悪い。弦の音は中程に締めて音色が良い。弦の音に合わせて、踊ろよ、踊れ……」
というのが――。
それを聴いた時に、お釈迦さんはハッとして、「あっ! 中程という、中道というものが大事なのだ。両極端になってはいけないんだ。私が長い間、求めていたのはこれだったのだ」
という事を悟り、そしてその中道というものを、しっかりと心に入れて、もう一度自分で禅定していった訳です。
しかし、このネランジャラ川で聴いたその歌は、実は自分が城にいた時に、お酒を飲みながら歌い、それから自分の取り巻きの女官に歌わせていた歌――これはもう、自分も歌っていた歌だった訳ですね。それに自分が気が付かなかった訳ですよ。
私は高橋先生の本『人間・釈迦』を読んでいった時に、何となくこういう事に気が付いた訳ですよ。最初はそう思っていた訳です。
しかし、次に読んでも気が付かない。三回、四回、五回読むうちに、「あっ、この歌というものは、お釈迦さんはこれで悟られたかもしれないけども、高橋先生の書いたのは意味が違う。確かにその意味もあるかもしれない。しかしそれは、
「やはり、私達人間は多くの人に対して、やらなければいけない事が、自分が毎日やっている中に必ずあるんですよ。そういう事をよーく振り返っていかなくてはいけませんよ」
――あの話の中は、そういう事を教えていることなんですね。私はそういうふうに受け取った訳です。
そして自分を振り返ったら、確かにそうなんですよ。難しい事じゃないんですね。毎日、自分が言葉に出し、行為をし、そして心の中に波動が起きて、振動が起きて、もう自分が振り回されるような事が毎日の中にある。
それは今言いましたように、中道というものを忘れている事が沢山あるからじゃないでしょうか。
やはりそのように、高橋先生の本でも読み方によっては全然違ってくるんですよ。「あっ、これは私に話をしてくれているんだ」ということが分からなくてはいけないですね。
そしてお釈迦さんという方は、六年目にその事が分かって、それから二一日間の間、禅定をしていった。自分というものを振り返っていった。
その間に、いろんな事が出て来て、それでいろんな事が分かるようになった訳です。
そして、アポロキティシュバラー(インドの当時の悟られた方の呼び名/古代のギリシャ語でアポロンの悟りの意)=観自在菩薩、即ち仏さんになったんですね……。
我々は死んだら「仏さんになる」なんて言いますが、仏さんにはなれないんですよ。
お釈迦さんは、本当に悟り、仏さんになった。
それからみんなに話をするようになったんですね。
そして、お釈迦さんは約四五年間、住む処が無かった訳ですよ。何故かと言いますと、あっちに行き、こっちに行きして、そして話をして歩いた訳です。
そして話をしている途中で、身体を壊して八一歳で亡くなったんですね。
お釈迦さんもやはり、肉体を持てば私達と生活は一緒なんですね。
ところが、お釈迦さんのような方は、自分の目の前に出て来るもの――これが我々とは全然違う大変な事が、沢山出て来る訳ですよ。そういうものを、自分で一所懸命乗り越えて、乗り越えたものをみんなに話をして、「人間とはこうなんですよ」という事を話をされていた。
そしてお釈迦さんは、自分が生まれて死ぬまでの事だけではなくて、前の事(過去世の事)も全部知っている訳ですからね。そういうものを紐解いて話をされた訳です。
その中には、我々に伝わっている阿弥陀経がありますね。阿弥陀さんの話は、阿弥陀浄土――あれも実は法然という人の話ではないんですよ。あれはお釈迦さんが話された事ですね。
そのように、大聖者=釈迦如来は、こうして四五年間、自分の住む処も無く、あっちに歩き、こっちに歩きして話をして歩いた。昔は自動車は無かった訳ですからね、お弟子さんを連れて、テクテク……歩いていた訳ですよ。
そして未だに、その教えは残っている。それは神理(絶対の理の意)だから残っている訳ですよ。お釈迦さんの教えは、いろんなものが残っていて、今は何か、一寸曲がってきたけれども、しかし、正しいもの、立派な事はちゃんと書いてありますよね。
それが私達の処に、今伝わって来ている訳です。――東洋の思想ですよね。
私達はそういう話を少しでも聴いている訳ですよ。
お寺さんでも、まぁ、曲がりなりにも本を読んできたりして説教はしていますね。
今度は、それを聴いた人はどうしてるかというと、「今日は、説教聴きに来ましたけど、良い話でした」で、終わってしまう。
みんな数珠を持って来ていますけど、数珠は何の為にあるんでしょうか? ――分からない。みんな下げているだけですね。アクセサリー? ――それじゃしょうがないですね。あの数珠であっても、お釈迦さんの当時からあるんですね。あれはバラモン教が使ってたんですね。経文みたいなのを上げる時に、一回、二回と数える為のものですね。こうやって、ジャリジャリやる為にあるんじゃないですよ。 エイッ!てやる為にあるんじゃないですよ。(笑)
やはり伝わっている中にあります御灯明だってそうでしょう。御灯明を上げて、線香を上げて、あれでどうするんですか――。亡くなった人を供養する為にある?
――冗談じゃありませんよ。あれは、お釈迦さんが説法される時に、真っ暗だから油で灯りをズーッと点けた訳ですよ。
お線香は、お釈迦さんのお弟子に、プルナ・ヤニプトラーという利口な人がいて造ったんですね。当時は、もうみんな臭くてしょうがない訳ですよ。食べ物や、体にいろんな虫除けの為の木の汁を塗っているから臭いんですね。それではお釈迦さんに失礼だから、線香を考え出した訳ですよ。木を材料にいろんなのを造ったのが、線香の始まりなんですよ。仏さんを、亡くなった人を供養する為じゃないんですよ。
そうしたら今度は、御灯明を上げるから夏でしたら虫が飛んで来ますね。冬でも飛んで来ますけど、昔は蚊帳も網戸もなかった。今みたいに部屋を閉めてクーラーを掛けられない訳ですから、その灯りに虫が飛び込んで、みんな死んでしまう訳です。
お釈迦さんは、説法があった次の日の朝早く、お弟子さんもまだ寝ているうちに起き上がって出掛けるんですね。
「何をされるのだろう」と、お弟子さんが見ていた。
そうしたら、自分が前の晩に説法した処をズーッと回る訳ですよ。
「何故、回られるのだろう」と見ていたら、その灯りに集まった虫が、火に飛び込んで死んでしまうんですね。その虫を弔っていらした訳ですよ。
お釈迦さんでさえ、そういう事をちゃんとしていらっしゃる訳ですよ。
そういうものを見ていると、その辺にいる虫も踏む訳にいかなくなってきますね。虫でも魂がある。植物にも、実はある訳ですね。話もする。
――次回に続く
次回『二四、植物の精――人間の心を知っている草木や花達』の更新予定は、6月の第4週です。
どうぞお楽しみに。
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