第三話 『日本人』関連の参考講話 短編集
4、沙羅双樹の下で――ブッタ 最後の言葉
(268ページ『中道の道』参照)
お釈迦さんが81歳の時に、マガダ国に話をしに来た時に、在家のチャンダという鍛冶屋さんが、お釈迦さんを歓待して、御馳走した訳です。
その御馳走した中に、キノコがあった訳です。お釈迦さんはキノコが大好きだったんですね。それがあたって、急性下痢を起こした訳です。身体を壊してしまわれたんですね。
そして、クシナガラまで行って、横になられた。
涅槃に入る前に、老バラモン僧のシバリタという人が訪ねて来て、最後の法(阿弥陀の法=アミシュバラーの話)を説かれ、その方が最後のお弟子さんとなった。
そして、弟子のアナンが、お釈迦さんに言った、
「ブッタ、死んではいけません。これから私達はどのようにすればよいのでしょうか」
「アナンよ、私はこれで終わるけれども、あなた方は私の話をよく聴いた筈です。
在家の人も衆生も、迷っている人が沢山いるんですよ。
あなた達は、私の言った事を実行して、そしてそれを一所懸命に追求していって、多くの人に話をし、みんなに彼の岸(天上の世界)へ渡って貰うようにするんですよ。
それをやるのは、あなた方なんですよ」
そう仰った。
しかし、お釈迦さんはその後、最後に何と仰ったでしょうか?
「私に御馳走してくれた、チャンダという人に、私からの言付けだと言ってください」
と頼んだのですね。
「あの人は、私がその料理を食べて死んでしまったと思うだろうけれども、私はもう時間なんですよ。そういうものを辿って、私は終わらなくてはならなかったんだから、気にしなくてもいいように話してください。チャンダに『人間というものは、最初と最後は、食べる物が一番供養になるんですよ。私はあなたに供養して貰って、本当に有り難い』と、そのように伝えてください。そして、みんなね、絶対に、チャンダを責めてはいけませんよ」
と、そう言われたんですよ。
お釈迦さんは、チャンダの料理を食べて、自分が終わるという事は、前から分かっておられたんですね。
それで、そのチャンダという人は、まあ、少しは心が落ち着きますよね。救われますよね。そうじゃなかったら大変ですよ、御馳走して、身体を壊した訳ですから――。
それくらい、お釈迦さんという方は、死ぬ時まで人の事を考えていた訳です。他の人が、心が悪くならないように、駄目にならないように、少しでも明るい心でいられるように考えていた訳です。私達は、中々そうはいかないですね。
普通だったら「あの野郎、おれにあんなもの食わせやがって!」とか、(笑)終いに「おれは死にたくねえ……」と、こうなってくる。(笑)
そしてお釈迦さんは、
「昔、アヌプリヤの森で、転変地変があった。その時、そこにいた小動物が、みんな谷間を渡れずに、逃げ場を失ってしまった。その時に一頭の年老いた象が、谷間に入り込み、『みんな、私を橋にして、こちらに渡るんですよ』と言い、そして全部渡した。――その象が私なんですよ。みんな、私の教えを大事にするんですよ…………」
こう言われて、息を引き取られた……。
その時に天空から、栴檀の香りがサーッと舞い降りてきたんですね。
そして、大きな雷の音が轟いて、グラグラグラと地震が起こったんですね。
それで、お釈迦さんは、天上の世界へ還られたのですね。涅槃に入られた……。
お弟子さん達は、お釈迦さんが亡くなられたと思いたくなかったんですね。それで〝涅槃〟(ニィルヴァーナ)という言葉を使ったのですよ。
お釈迦さんはね、亡くなる三月前に、
「私は、これから三月後に、この世での時間を終わりますよ」
と、ちゃんと断言していらっしゃるんですよ。
そういう事は、何かに書いてあるのかどうかは、私は知りませんけれども、お弟子さんにちゃんと仰っていますよ。しかし、みんな分からなかったんですね。
それで、そのように身体を悪くしてしまい、本当に三月後に亡くなられたんです。
1987年3月