心の旅路

 

第三話 『日本人』関連の参考講話 短編集

 

6、家庭内暴力――親の姿と本当の愛情

(291ページ『大自然の生命の神理』参照)

 

私達の後の世の中を大事にしていくのは、子供なんですよ。

子供に「勉強だ勉強だ」と言ってるから、厭々ながらやっているんですよ。

それこそ、外で遊ぶ子供が今いないんですよ。外で遊んでると思ったら、今度はオートバイでガーッと飛ばして、人に迷惑を掛ける。

山に行って木に登ったり、木の実を取って食べたりする子供はいないんじゃないんでしょうか。みんな勉強か、テレビやピコピコ……と機械でゲームをやって、段々身体がおかしくなっていく。これじゃ、どうにもならないですね。

今、子供にみんながやっているような事をやらせては、本当に駄目になりますよ。

「塾だ塾だ」と言って、行かせるけれども、みんなあまり勉強はしていないですよ。

親は塾に行っている子供の事をよーく知らないといけませんよ。塾へ行かなくても出来る子は出来るんです。塾へ行って、一番になった、二番になったというなら分かりますよ。相変わらず同じなんですね。

そして、出来ないから悪戯をする。勉強が出来ないからなんですよ。「勉強しろ」と言うばかりで、方法を教えないからですよ。

「塾でも行って来なさい」と、これじゃあ駄目ですよ。

「あなたはこうだから、ここからこういうふうにやるんですよ」と、親がちゃんと言ってあげるくらいでないと、今の子は分からないですよ。

先ず、小学校の勉強をちゃんとしていないと、中学校に行ったら、もう分からないですね。これは昔でもそうですね。出来ない子で、逃げる子の気持ちはよく分かりますよ、私も出来なかったから――。勉強嫌いだから、帰って来たらバーンとカバンを置いて遊びに行ってしまう。

ところが、上の学校になったら、出来ないから「さあ、大変だ。どうしたら良いだろう」と、子供ながらに考えて、もう一度、小学校の勉強からやり直してみたら、段々分かってきましたよ。やっぱり、やり方なんですね。

まあ、子供がある人は、しっかり育ててくださいよ。子供の言う通りに動いてはいけませんよ。今の子供は言いたい事を言うんだから――。

それで「ダメだ」と言うと「いや、友達の家はそうだよ」と言われると「友達がそうなら、やってやろうかな」と、こうなってくるんですよ。負けちゃ駄目ですよ。

この前、相談にみえた人は子供が登校拒否なんですよ。

「先生、何とかなりませんでしょうか……」

「どうしたんですか?」

「この頃、家の子は学校に行かないんです」

「奥さん、その子、勉強が出来ないでしょう」

「はい、出来ません」

「部屋からも出て来ないでしょう」

「出て来ません。自分が買い物に行きたい時には、行きます。後は出ないんです」

そうなると、友達も段々いなくなる。閉じ篭っているから、自分の鬱憤を晴らすのに困ってしまう。それをどうするか。――お母さんをデーンとやったり、ガーンとやったりと、(笑)多いですよ、今そういう人……。

「先生、わたし、どうしたらいいんでしょう」

「負けずに喧嘩しなさいよ」

「いやあ、それが……こんなに大きいんです」(笑)

体ばかりが大きくて、お母さんは小さいから逃げてしまう。

「逃げなさんな」

「いやあ、もし怪我でもしたら……」

「怪我しても、殺されても、自分の子供でしょうが――」

――中々そうはいかないですね。

前に九州でも、家庭内暴力で、そういう人いたんですよ。私はそのお母さんに、

「あなたは、子供と取っ組み合いをしなさい。逃げちゃダメですよ。殺されたっていいでしょうが、自分の子供なんだから――」

「はい、分かりました、先生」

――私がその次に話をしに来た時に、会場にみえたので、話をしたんですが、子供と大取っ組み合いをしたそうですよ。

それこそ、喧嘩する時に、スラックスにはき替えてやったのか、スカートのままだったのか、それは聞きませんでしたけどね。(笑)

お母さんが、もう必死で子供と取っ組み合いの喧嘩をしていた。そうしたら子供が、

「おかあさん、ご免なさい!」

と言ったそうですよ。まあ、それからというもの、その子供は良くなっていったそうですよ。元に戻ったんですねえ……。

やはりそれは、お母さんの姿勢ですよ。――これは、お母さんは、自分の為にやったんじゃないんですね、子供の為に必死でやったんですよ。その事に、その子供が気が付いた訳です。逃げてはいけませんねえ……。逃げてはいけない。

何も取っ組み合いをすることはないですけれども、そのぐらいの愛情がなければ駄目ですよ。――それが、愛情なんですよ、愛情……。

今のおかしくなった子供に聞いてご覧なさい、

「家で何にもやってくれない。話も聞いてくれない。先生も聞いてくれない」

と言ってますよ。「もっと子供の話を聴きなさいよ」と言いたいですね。

しかし、聴けないんですねぇ。親は自分の事ばかり考えているから駄目――。

お母さんは、お母さんではなくて、おんなになってしまっている人が多いんですよ。自分の楽しみばかり考えているんですね。そうすると、子供はちゃんと分かりますよ。

「よーし、あんな事やってるなら、私もこんな事やってやれ」と、そうなってくるんですよ。相談に来る親の話を聴いてみると、みんなそうなんですよ。ですから私は、

「あなたはね、自分を捨てなさい」

と、そう言うんです。子供がおかしくなったら大変ですよ。お金が無いのより大変ですよ。私はあちこち行きますけれども、こういう話が多いんですよ。お金があっても大変ですよ。

「先生、お金じゃないです、もう子供が……」

と言いますよ。もしそうなっている人は、もう一所懸命にやらないと駄目ですよ。

そして、それをやりながら、少しずつ少しずつ修正していく訳ですよ。そうしたら、自分の子供に対しての愛情と、自分がこのようにしなければいけないという人間的なものと、両方があったら一遍に変わってしまいますね。

これは、物がこっちから動くという事ではなく、物というものは仮の姿なんですよ。心というものは、本当の自分なんですよ。心は変わる、心は明るい、光明なんです。

光明というものは、暗いものも包んでしまうんですよ。これは物ではないから、見えないですよ。見えないのが厭だったら、やらないことですね、辛いから……。

「見えなくても良い。今生でちゃんとしなくてもよろしい。わたしは悪い事を積み重ねて、ガタガタになっているんだから、今からでも調和になる為に努力する、それだけでよろしい。努力しよう」と、これが大事ですね。

1989年11月



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